Coming Soon
今宵のテーマは「7」。
映画には何かと「7」にまつわることがあるのです。
映画 をこよなく愛する素人のおしゃべりです。
皆様が1作品でも観たい気分になれば嬉しいかぎりです。
「7番房の奇跡」 清白なる死刑囚の娘への愛。
監督:イ・ファンギョン
脚本:イ・ファンギョン、ユ・ヨンア、キム・ファンソン、キム・ヨンソク
〈Story〉
司法研修生・イェスンは十数年前のある事件が冤罪であると主張する。自分はその事件の関係者だと話し出す。
知的年齢が6歳程度のイ・ヨング(リュ・スンリョン)はしっかり者の6歳の娘イェスン(カル・ソウォン)と暮らしていた。ヨングは道に倒れている少女を見つけるが、その少女を殺した罪で逮捕される。一方的に供述書を制作され、刑務所の7番房に収監される。
同房の囚人たちはヨングの罪が未成年者のわいせつ致死傷罪と知りヨングを袋叩きにする。ヨングが運動場で襲われかけた房長の命を助け、囚人たちの態度は軟化。
房長からのお礼として、ヨングは娘イェスンに会いたいと申し出る。
イェスンがキリスト教会の慰問団に紛れ込み7番房まで運び込まれる。親娘は再会を喜ぶも、慰問団のバスに乗り遅れたイェスンは、2日間も房に泊まることになる。
イェスンは保安課長(チョン・ジニョン)に見つかり追い出される。
火事が起きてヨングは保安課長を助ける。ヨングの純真さと親子愛を知った保安課長は、イェスンをダンボール箱に隠して度々7番房に届ける。
そして、ヨングの罪状について調べ始めた。。。
眼鏡を掛けていた日があったでしょ。あの前夜に「7番房の奇跡(2014)」を観て、嗚咽するぐらい泣いてしまって、ガチャピンみたいに目が腫れたので眼鏡をかけていたんです。
僕は今回が2回目で、泣く人がおるか? って、思っていたら、ここにいましたね。
明らかに泣くじゃないですか。ポスターでも泣ける。
物語は「奇跡」という感じではないです。タイトルを見てハッピーエンドかなと思ったら意外でした。
皆さんどこに感動しました?
最後の檻越しに父娘が別れるシーン。
ヨング(父)が一度行きかけて、また戻ってきてから娘と別れたくないと感情を出すのがずるいよね。
そうですね。
最初の方の裁判のシーンでイェスンが弁護士になっているのが分かるね。
終盤を見せておいてシナリオでどれだけ遊ぶかが見どころです。
映画の元となる事件も冤罪事件でした。冤罪でそんなに早く刑務所にぶち込まれるんか。後でやっていないことが観客には分かるんですけど。
Eくんの言いたいこともわかる。ヨングは捕まる時に明らかに救助活動をしていましたから。
日本の警察ドラマだと、早く送検をしろという上からの圧力で、冤罪が生まれる。そういった事情はなかった。
僕、大学で刑事訴訟法で冤罪事件も勉強していたんで、雑な描き方が気になっちゃって。ひどいのが現場検証で人形を出してきて、大勢の人の前で無理やり再現をさせる。
再現も言われるがままでね。
周りから「この悪魔」って罵られて、見ていて気分が悪かったです。
事実が操作されるから怖いね。
7番房のみんなが個性的で面白いですよね。出所した後、牧師さんや占い師になっていたり。
最初は吹き替えで観だして、途中から字幕に変えたら、吹き替えだけオネエの人がいました。イェスンを台車で運んでくれた髪の長めの人がオネエ口調だったんですよね。吹き替えの方がいいなと思いました。
韓国でのセーラームーン人気にびっくりした。
そうですよね。韓国にもあるんですね。
主題歌も歌っていました。
セーラームーンのランドセルがあんな人気なんや。
七番房の中に本が置いていて、カラフルというか、保育園みたいでした。
日本の刑務所も住みやすくなっているんでしょう。
別の囚人がぼや騒ぎを起こす事件で。
「ヨングが娘を刑務所に連れてきて、俺も父親を呼びたい」と騒ぎました。後で
「俺には父親はいない」って言うのだったらなんであんなことをしたんですか。
ただ脱獄したかったのかと。
ぼや騒動は課長がヨングに助けられるストーリーに転換するように見える。
シナリオの分岐ポイントですね。
話はストレート。凝ろうと思うとEくんが言うように本当に罪を犯したかを伏せる方法もあるけど、ここでは最初から明らかにして観客をヨングの味方にしています。
ヨングの奥さんについても一切触れない。
誰との子供かですね。そこは少し掘り下げてもね。
筋を複雑にすると、ねらい通りにいかない。
僕はもっとリアルにした方が楽しめるかな。刑務所も明るくなくて薄暗くてジメジメしていて、出てくる人も悪い人ばっかりがいい。クリーン過ぎました。
終盤のシーンは演出がうまいなと思って。ヨングの最後の裁判をしている最中に、大人になった姿のイェスンが出てきて、当時の警察官を非難するシーンは印象に残っています。
Eくんも3回目に見たら、めちゃめちゃ泣くかしら。
見るたびに印象が変わるかもしれないね。
物語の構造はイノセントな主人公と社会が交わらずに存在する。こういう人が主人公になると涙腺が危険です。
知的障害を持った人ですか?
本当のイノセント、無垢、純粋、そういう人が社会で生きていく姿にぐっときてしまう。
今回選んだ「アイ・アム・サム(2002)」と通じるところがあります。
前に夕暮れさんが話した「がんばれ!チョルス(2020)」もそうでしたよね。
チョルスは普通の人だけども、事故で脳を損傷します。
これも親子の話ですね。
「がんばれ!チョルス」も純朴で危ういです。ぜひみてください。
キネ娘さん、また眼鏡をかけてください。
大きめのね。
昔、「汚れなき悪戯(1957)」という作品あって、それは男の子マルセリーノが主役です。この子が孤児でイノセントで、教会で牧師さんたちがみんなで育てている。教会の2階が倉庫になっていて、「危ないから上がって行ったら駄目よ」って言われて、興味が湧いたマルセリーノが行ってみるとキリストの像が横たわっている。それを見て、マルセリーノが次の日から毎日パンを届けに行くんですよ。ああいう作品が危うい。
みんなには、うるっときちゃう場面はあります?
死んだら大体泣きます。
ははは。
それは分かる。身内の死が辛くて泣いている人がいたら。
つられ泣き。
僕の友人が言うには、死んだ人を称えるシーン。例えば「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス(2017)」でヨンドゥというキャラクターが亡くなるんですけど、最後に花火を打ち上げてみんながヨンドゥに対して感謝するシーン。「ああいうのが弱い」って。僕もそっちかもしれない。
アメリカっぽい。
「ワイルド・スピード SKY MISSION(2015)」の最後のシーン。ヴィン・ディーゼルとポール・ウォーカーの車が並んで走って、二手に別れていきます。ポール・ウォーカーに捧げたシーンはウルウルきちゃいます。サポさんあります?
「スズメの戸締り(2022)」の主人公が回想して、ちっちゃい子供の姿に戻って「お母さん」って探すシーンで、うわーってなる。あれはないです。
震災の日の回想。お母さんが亡くなったんですよね。
チビッ子たちが力を合わせて、大人たちに抵抗するシーンとかも、例えば「ET(1982)」の最後でETを逃そうとみんなが自転車で走るシーンで泣いちゃうんですよ。
現実の方があります。アイドルが頑張っているとか、イルカショーとかで泣いちゃいます。
泣き所は人で違うんですね。
泣くのが分かっている映画ってしんどくて何回も観られなくないですか。
泣かせようとする映画は意外と泣かなくて、何気ないドキュメントでうるっとくる。
韓国映画って全体的に味付けが濃厚です。
オーバーに感情を揺すぶる。
そこに乗って観られる人は楽しめる。しらけちゃうと乗りづらくなる感じ。
韓国映画を観続けると邦画が観たくなります。
知っている俳優とか出ていました?
パク・シネだけ知っていました。大人になった時のイェスン。
ヨングは「エクストリーム・ジョブ(2020)」で主役でした。サポさん、こういうアジア系の作品は好きですよね。
そう、香港映画をよく観ていた。アジア映画が面白い。
主人公が翻弄されるタイプがはまりやすいかも。ついつい見てしまうのは、マフィア系映画を見てしまう。
残酷なシーンが多いですよね。
ポン・ジュノ監督の新作「Mickey 17(2025)」が近々公開するみたいですね。アメリカとの合作でロバート・パティンソンが出ているSF映画。
Eくん
年間 120本以上を劇場で鑑賞する豪傑。「ジュラシック・ワールド」とポール・バーホーヘン監督「ロボコップ(1987)」で映画に目覚める。期待の若者。
サポさん
「ボヘミアン・ラプソディ」は10回以上鑑賞。そして、「ドラゴン×マッハ!」もお気に入り。主に洋画とアジアアクション映画に照準を合わせて、今日もシネマを巡る。
キネ娘さん
卒業論文のために映画の観客について研究したことも。ハートフルな作品からホラーまで守備範囲が広い。グレーテスト・シネマ・ウーマンである。
検分役
映画と映画音楽マニア。所有サントラは2000タイトルまで数えたが、以後更新中。洋画は『ブルーベルベット』(86)を劇場で10回。邦画は『ひとくず』(19)を劇場で80回。好きな映画はとことん追う。
夕暮係
小3の年に「黒ひげ大旋風(1968)」で劇場デビュー。開演に照明が消え気分が悪くなり退場。初鑑賞は約3分。忘却名人。
「ダンケルク」 7日間の撤退劇。
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
〈Story〉
第二次世界大戦初期の1940年5月26日。連合軍将兵は、フランスのダンケルク海岸でドイツ軍に包囲されている。
イギリス陸軍の兵士トミー二等兵はダンケルクの街で、ドイツ軍の攻撃から逃れ撤退作戦中のダンケルクの砂浜にやってくる。港にはイギリスの救助船への乗船を待つイギリス兵が列をなしていた。
トミーは兵士を砂浜に埋葬していたギブソンと名乗る無口な兵士と偶然出会い、行動を共にする。負傷兵は救助を優先されるので、トミーとギブソンは負傷兵を乗せた担架をかつぎ、救助船に乗り込む。
ドイツ軍の攻撃で出港して間もなく撃沈、ギブソンの機転でなんとか脱出する。
一方、民間船徴用で、自身の小型船の徴用命令を受けたドーソンは、息子のピーターと、ピーターの知り合いであるジョージと共に、イギリス兵士たちを母国に運ぶため、ダンケルクに向けて出港する。
そして、イギリス空軍のパイロット、ファリアとコリンズらの小隊は戦闘機に乗り、ダンケルクの撤退行動を阻害するドイツ空軍の応戦に赴く。。。
「ダンケルク(2017)」は、改めて観ましたけどドキュメンタリータッチに近い。
戦争映画では観やすい方。第二次世界大戦中にフランス・イギリスの連合軍がドイツと交戦中にフランスの街ダンケルクで、追い詰められてしまって浜辺に身を寄せ合って救助を待つ。
海の向こうにイギリスの本土が見えているけれども、船が来ても機雷があって爆撃も受けて、砂浜にいると戦闘機に爆撃されて居場所がない状況で、イギリスは「ダイナモ作戦」を行います。民間の小型船や遊覧船、漁船を徴用して総力を挙げて救出する作戦。
この作品は三つの視点があって、一つが浜辺の1週間。これが「7」のキーワード。
7日も描かれていました? あっと言う間に終わりましたよ。
浜辺に追い詰められた陸軍の兵士たちの1週間、これが一つ。
船が徴用されるんだけど、自分が船長だと言って遊覧船に乗ってダンケルクに助けに向かう民間人がドーソン、その人の1日の視点。
ドイツ空軍の爆撃から兵士たちを守るためにダンケルクに飛ぶイギリス空軍兵の1時間の視点。その3つの時間軸が、映画のエンドに向かって交差していって、最後に全ての時間が重なる。
1週間と1日と1時間、3つのパートが混ざって最後は一点に集約される。
単純に描かないのがノーランらしい。
初めて観たとき、「1週間」「1日」のテロップの意味が分からなかった。見終わった後でそういうことかと。
説明がびっくりするぐらい無くて。
お話は難しいものじゃないんだよね。
イギリスとフランスが近いということは、あそこはドーバー海峡やね。
ドーバー海峡越えをする。
一番の見どころは、浜辺にいる1週間かな。戦争映画ですけど、びっくりするぐらい流血のシーンがなくて、いきなり爆撃の音がして逃げ惑って、あの狭い地域で右往左往を繰り返す。
誰もが見やすい作品にした上で、戦争の怖さを描こうとしたのかなと思う。そういう意味では浜辺にいる兵士たちが一番追い詰められているので、その視点が好きかな。
ドイツ兵の姿が見えないんですよね。
迫ってきていることは間違いなくて、そういう怖さはありますね。
船で救出に行く人たちの人間ドラマが熱かったです。
船で民間人が戦闘地帯に助けに向かう海上で兵士を一人救出する。
キリアン・マーフィですね。
この兵士が戦闘地帯からやっと逃れられたのに、この船がまたそこに向かっていることが分かって
「戻ってくれ」と言って、小競り合いが起きてしまう。
面白いのが、沈没している船と一緒にキリアン・マーフィーを見つける。時間が戻って陸上でキリアン・マーフィーが船に乗って逃げるシーンあって、その船がこのあと沈没するんですね。こうしてつながります。
映画館の暗い閉鎖空間で観るのに向いている映画。敵の姿が見えない分、爆撃音の迫力が戦闘地帯の緊張感を演出している。音響がいい劇場で観る方がいいって思いました。
戦闘機が迫ってくる音とか怖いですね。キーンって、ゾクゾクする。
リアルに思っちゃいますね。
ノーマンですからCGは使ってないよね。
浜辺にいる兵士たちの一部は書割らしい。
全然気づかなかった。そこまでしてCGを使いたくない。
戦闘機のトム・ハーディが一番かっこいいですね。
プロフェッショナルですね。燃料の計器が壊れちゃって、どれくらい飛べるかも分からないんだけれども、敵の戦闘機と交戦になって淡々と倒していく。
最後に不時着したカットがいい。戦闘機が燃えていてそれを黙って見ていて、後ろからドイツ兵が迫ってくる。
戦争映画ですけどメインが撤退で戦争映画っぽくない。
ドキュメンタリー調に撮っている。
この撤退のおかげでこの後の戦局が有利に動いたんですってね。
武器はたくさん失ったけれども、人的資源が守られたことでその後の戦争に生かされた。
ターニングポイントですね。
主役はフィン・ホワイトヘッド、あんまり出演作を知らない。
脇役の方が豪華です。ケネス・プラマーとか。
ハリー・スタイルズがミュージシャンで有名。戦闘機が最初3機やったのが2機になる所で、最初に撃墜されちゃう。隊長の声がマイケル・ケインでした。
面白いのが、陸上パートで座礁している船に隠れて潮が満ちるのを待ってから逃げようとする。その船の中で待っていたら、ドイツ兵が外からバンバン撃ってきて、船に穴が開いて海水が流れ込んで溺れそうになる。戦闘機のパートではコリンズが海上に不時着して脱出しようとしたらコックピットが開かなくて海水が流れ込んで溺れそうになる。全く別の出来事を並べることで。。。
「溺れている」で揃えてつなぐ。
そう、繋がるのが面白かったです。
3つの視点だけど編集がうまい、繋ぎ方がうまいなって。。。
冒頭では主人公たちが、フランスの街を歩いている。シーンとした中でいきなり発砲音が聞こえて、ドキッとするほど飛び上がっちゃって、2回目に観た時も同じシーンで飛び上がるぐらい臨場感がある。セリフが排除されているので音に過敏になります。いや怖かったな。
前もお話しましたけど、「プライベート・ライアン(1998)」も劇場で観た時の耳を掠める弾丸の擦過音が強烈で、映画の音響が変わったと思いました。
上陸するシーンで、陸上から掃射されて船の上で死んじゃう人もいるし、海に飛び込んでも海中にも弾が飛んでくる。今までの映画の音と違うリアリティ。現場の怖さが伝わってきます。
「ダンケルク」と違って生々しいですしね。
自分ならどう逃げようかと、無意識に考えながら観ているんですね。でもどれも助からない。
「ダンケルク」の最後のシーンは印象的やったね。無事に脱出して列車に乗って、あそこでほっとできるね。
心温まるシーンですね。
逃げ延びてきた兵士たちは侮辱されるかと思っていると、列車が駅に停まろうとする時に、おじさんが列車の窓ガラスをどんどん叩く。なじられるかって思ったら飲み物をくれる。
みんな温かく迎えてくれた。
いいシーンやな。キネ娘さんはノーランは好き?
好きですよ。「メメント(2001)」と「ダークナイト(2008)」「インセプション(2010)」。「テネット(2020)」はもう一回観ようか、でも3時間かと思って。
私は「インセプション」かな。「インターステラー(2014)」は分からなかったけど感動した。
「インターステラー」は一番好きだけど、人間の愛がどうのこうのってよく分かんない。
「2001年宇宙の旅(1968)」を観た時の感覚と似ています。説明はできないけども分かった気はする。言葉で説明しようとすると外れていく感じ。
言葉では言い表せない。
美術館に行った後、気持ちが良かったみたいな。
そう。あれが表現の最終形なので、言語化する必要はないんですね。
自分の語彙力で追いついてないところ。
言葉には限界があるんですね。映像の方が絶対的な情報量が多い。
「オッペンハイマー(2024)」は原子爆弾を開発するのがシビアですね。
観る側に対立点があって、開発してしまった科学者の苦悩への共感と、被爆国の日本人という立場。
開発の成功を喜んでいるシーンは、あんなにむかつくことはないね。
でも映画の結末はそうじゃないので、そこを乗り越えて最後まで見れば腑に落ちる。
開発したことの負い目が描かれていて、礼賛しているわけじゃないんですよ。
悩む科学者と、全然悩まない政治家という対立構造で、観客はオッペンハイマー側で観られます。
監督のことも腹が立つかも。おばあちゃんが長崎で被爆しているから。
それは観ない方がいいかもしれない。
デビュー作「フォロウイング(1999)」が最近リバイバル上映をされています。
卒論を書いている時にちょうど「テネット」が公開された時のノーランの記事が出ていて、ノーランは映画館至上主義だと。配信は映画の切り取りができて時系列も変えられる、巻き戻しや早送りができる。それが嫌だから映画館で観てほしいというこだわりがノーランにはあります。
当時ワーナー・ブラザースはノーランの反対を押し切って「テネット」を自社のストリーミングサービスで同時公開をした。それでノーランが激怒して、ワーナーと手を切ってユニバーサル映画とタッグを組む。
決別しちゃった。そらそうなるね。
スマホで観たら、ノーランが卒倒します。「何をしとんじゃお前は」って。
ノーランが直接言ってくれるんやったら配信で観てもいいかも。
「パスト ライブス/再会」 宿縁が導いた7日間。
監督・脚本:セリーン・ソン
〈Story〉
韓国のソウル。12歳のナヨンとヘソンは初恋同士。二人は相思相愛だったが、突然ナヨンが家族と一緒にカナダに移住してしまう。
12年後の2012年、ヘソンは兵役を終え、ナヨンはニューヨーク市に移住していた。
その頃ナヨンは名前をノラと変える。
ある日、ノラはFacebookで、へソンを探すとヘソンもノラを探しているコメントを見つける。へソンは彼女が名前を変えたことは知らず、そのせいでFacebookでも彼女のことを見つけることができなかった。
彼らはスカイプのビデオ通話で再会した。ナヨンは作家として活動し始めていたのに対し、へソンは大学生だった。
お互いもう一度会いたいという願望を持っていたが叶わなかった。ノラは執筆とニューヨークでの生活に集中したいためヘソンに一時的に話すのをやめようと言う。
時は経ちノラは作家仲間のアーサー・ザトゥランスキーに出会い、彼と恋に落ちる。一方、ヘソンもある女性と出会い、交際を始める。
12年が経ち、アーサーとノラは結婚しニューヨークに住んでいる。
そしてヘソンがノラに会いにニューヨークにやってくる。。。
「パスト ライブス/再会(2024)」は今回の第96回のアカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートさました。A24と韓国の映画会社CJエンターテイメント、アメリカと韓国の合作映画。A24は、去年作品賞を受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(2023)」とか。「関心領域(2024)」もそうです。
CJエンターテイメントは、「パラサイト 半地下の家族(2020)」で作品賞を受賞しているし、「ベイビー・ブローカー(2022)」を手がけた。その2社がタッグを組んでいます。
あらすじを公式サイトから引用すると、韓国のソウルに暮らす12歳の少女ナヨンと、少年ヘスンの二人はお互いに恋心を抱いていたが、その少女ナヨンの海外移住により離ればなれになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた二人はオンラインで再会を果たし、お互いを思いながらもすれ違ってしまう。そしてさらに12年後、36歳、ナヨンは作家のアーサーと結婚していた。それでヘソンはそのことを知りながらもナヨンに会うため、ニューヨークを訪れる。24年ぶりにやっと巡り逢えたふたりの再会の7日間。
大まかに3つのパートに分かれていて、12歳のパート、24歳のパートと36歳で再び巡り会って、ここが主に描かれている7日間ですけど、どう見ても7日間に見えないんです。
どっち。長い? 短い?
短い。二人が再会して「明後日の朝にソウルに帰る」というセリフがある。
明後日にちゃんと帰ったかどうかやね。
もしかしたら、ニューヨーク観光をしていたのかな。
恋愛映画じゃないんですよ。監督がこれは「恋愛」じゃなくて、「愛」についての映画って謳っているんです。
最初の12歳のパート、時代は2000年ですね。少女ナヨンと少年ヘソンが仲良く下校しているシーンから始まるんです。テストでどっちが良い点取ったとか競い合っていて、二人にとって初めての恋だった。自然とそういう気持ちになったのが伺えます。ナヨンは
「私は彼が好きとかじゃなくて、多分ヘソンは私が結婚してって言えばするでしょうね」と上から目線ですごいんです。将来二人は結ばれるんじゃないかなという関係性です。
絆ができている。
そうです。ナヨンのお父さんが映画監督で、お母さんが画家です。劇中ではそこまで語られてはないですけれども、創作活動のために韓国を出て、カナダのトロントに移住することになる。トロントといえばクローネンバーグですよね。
トロントといえば映画祭やね。
二人は別れを惜しむわけでもなく、下校時にいつも通り「さよなら」って別れるんですよ。ヘソンが何か言いたそうなまま、言えずに終わっちゃう。
12年後、2012年二人は24歳。ナヨンはトロントに父母を残してひとりニューヨークに移住して劇作家の勉強をしている。ヘソンは大学を出て兵役を経てソウルに住み続ける。
ある日ナヨンがFacebookで父親のアカウントで遊んでいたら、ヘソンから監督宛てにメッセージが来ているのを見つける。僕は昔ナヨンと友達だったので彼女を探しています。連絡先を教えていただけませんかっていう内容でそれを見てナヨンはヘソンを思い出すんです。
ちょっぴり寂しいのがヘソンはナヨンを思い続けているのに、ナヨンは彼の名前を忘れちゃっている。ナヨンがヘソンに連絡を取って、スカイプでお喋りすることになるんです。12年ぶりの再会で、お互いの境遇を話しているうちに12歳の頃を思い出して盛り上がるんです。お互い口にはしないけども相手のことを思っている。でもそれぞれやりたいことがあってナヨンが劇作家の道、ヘソンは語学留学のために中国で勉強したい夢があって、二人はそれぞれの道を採っちゃうんですよ。じれったいのはナヨンがヘソンに
「いつになったらニューヨークへ来るの? 」そしてヘソンは
「いつになったらソウルに来るんだよ?」って。
そんな煮え切らない関係に耐えきれなくなったナヨンが、一旦距離を置きたいと提案。
「最近、勉強に集中できずに、ソウル行きの飛行機ばっかり検索して、手につかないから」
「わかったよ1年後にまた話そう」って別れちゃうんです。
その後ナヨンが劇作家の仲間と集まるプログラムでアーサーと出会う。ヘソンは留学先の中国でパートナーを見つける。
次が36歳で2024年。ここまで観て思い出したのが、「ラ・ラ・ランド(2017)」の終盤、エマ・ストーンとライアン・ゴズリング。それぞれ役者とピアニストの道に別れたのに似ていました。
ナヨンが劇作家アーサーと結婚して7年経っているんです。ヘソンはナヨンが結婚していることを知りながら、ニューヨークまで会いに来る。対面したのは12歳の時以来で24年ぶりですね。二人でニューヨークを観光しながら、お互いの24年の時を振り返る。
ナヨンが結婚前にアーサーと韓国へ行った時にヘソンに連絡を取ったのに返信がなかったとか。ヘソンは恋人から結婚しようって言われたけど、踏ん切りがつかない状態でナヨンに会いにきた。
観光が終わった後、ナヨンが自宅に戻って夫のアーサーにヘソンと会ってきたと話す。アーサーは
「ナヨンが正しかった。ヘソンはナヨンを想って会いに来たんだ」と。でも二人の関係が変わるわけじゃないんですよ。翌日にナヨンとヘソンは自由の女神を巡るフェリーに乗って、その夜にアーサーと合流して3人で食事に行く。ヘソンが翌朝の便でソウルに帰るので、3人で朝までバーで過ごす。
寄りを戻せるきっかけがあったのにすれ違っていたから引っかかりがある。
そうです。ナヨンはアーサーと結婚して前を向いていて、ヘソンは過去にとらわれている。
男性と女性の思考ですね。
ヘソンの気持ちも分かる。ナヨンに思いがないのをひしひしと感じる。
アーサーに話していて大人としての対応ができているね。
ドラマチックな展開が起こるわけでもないけど、めちゃくちゃ感動して、今年見たマイベスト入りは確実です。「サンクスギビング(2023)」と一緒ぐらいです。
並んでいるんやね。
注目しなかった作品が面白かった。登場人物が3人だけ。みんなお互いの性別や人種を飛び越えて人間としてリスペクトしているのが丁寧に描かれていて、僕は感銘を受けました。ヘソンが24年ぶりにナヨンに会いにニューヨークに来るんですけど、アーサーからナヨンを奪い取ろうというそぶりを見せないんです。昔の恋人が結婚していても嫉妬や怒りを見せない。結婚を祝福している。アーサーがいい人過ぎてつらいぐらい、ヘソンはナヨンの選択を理解して受け入れている。そこが大人で素敵だと思いました。
三人が正直に向き合っている。
このシチュエーションだと、泥沼の愛憎劇が繰り広げられそうな設定ですけど、それは一切ないです。アーサーとナヨンはたまたま劇作家の集いで知り合って結婚して、そんなドラマチックじゃない。
「ヘソンがナヨンと知り合って、24年ぶりにニューヨークまで来たのは、運命的じゃないか」とアーサーは言うんです。
仮に夕暮れさんの奥さんが昔仲の良かった男の子と再会したら不安に思いますよね。
そこはお互いの関係性だと思う。相手を信頼していれば大丈夫。
ヘソンは二人がどうすれ違ったのか、気持ちがどうだったのかは、訊いてみたい。知っておきたいですよね。
その二人の関係性を。
相手の話も聞きたいし、自分はあの時こうだったと言いたい気持ちは分かる。
アーサーはヘソンをアパートに招き入れて一緒にご飯に行く。しかも慣れない韓国語を勉強して話しかけて、アーサーもヘソンも自分の感情を抜きにして人間として向き合っている。
僕がヘソンだったら、アーサーと別れて俺と一緒になろうって言いますよ。僕がアーサーだったら、ヘソンを追い返せって言います。
今までの映画やったらそういうふうに話が展開していく。
それが一切ない。いかに自分が未熟か思い知らされて、落ち込んじゃっています。まだまだ子供なんやなって実感しましたよ。ヘソンやアーサーになりたい。
大人の理性が愛情の裏付けになる。
物語の最後にナヨンはヘソンに
「あなたの中では12歳の子供の泣き虫の私のままでいるんだろうけど、今は違う。でも12歳の子供の私を思い出として大切にとっておいてほしい。私はあなたの中で生き続ける」と言うんですよ。
監督の言葉で「自分がそのまま相手と付き合っていたり、結婚していなかったりしても、またその思いが実らなかったとしても、その相手をひとりの人間として愛することは可能だ」
目からウロコでした。
両面の感情があると思います。自分の恋愛を成就させたい感情と相手の幸せを大事にしたい、自分の気持ちを優先させるとひびが入ることもあります。
自分はまさに自分の感情を優先させちゃうタイプなわけですよ。
若い頃はそうかもしれない。
多分36歳になったナヨンがちゃんとアーサーに話したから成り立ったんだろうなって思います。ナヨンは、ヘソンが大事な人だけど恋愛の対象じゃないことをアーサーに伝えているし、それを伝えられていることをヘソンが知ってるから。
これが24歳の時にアメリカで会っていたらどろどろになる。
36歳というのが大きい。24歳だと話が違っちゃう。
これも監督の言葉を借りると、この映画は一つの愛情が別の愛情と比べて大きいとか重要とか、そんな比較はできない。ヘソンと過ごした短い幼少期の間に生まれた愛も、またアーサーと出会って結婚生活を通して得た長い愛もそれは同じぐらい大事なもの。
タイトルの「パストライブス」って意味、夕暮れさんわかります。
パストは、ポスト(その後)という意味かと。
「過ぎる」
うん、近い。「前世」という意味。劇中に繰り返し出てくる言葉が韓国語の「縁(イニョン)」。この意味が摂理とか運命、いろんな意味があるんですけれどもここでは、「縁」が一番近いかな。劇中で言っているのが、見知らぬ者同士が道ですれ違った時に服の袖が偶然触れ合ったら、それは二人の間に前世で何かあったと。「袖振り合うも他生の縁」ですよ。これって仏教の考え方に基づくみたいですね。あまり西洋ではそういった考えはない。
ヘソンとナヨンが結ばれることはなかったんですけど、幼少期に知り合って24年ごしに再会したのも、前世で何かあったんでしょうねって話すシーンがある。アーサーがヘソンに、
「住んでいる場所も違うヘソンとアーサーがナヨンを通じて知り合った、これもイニョンだよね。元々前世に何か繋がりがあったんだろうね」って言う。
相手と結ばれようが結ばれまいが縁(イニョン)があって、もしかしたら前世では二人が結ばれていたのかもしれないというポジティブな考え方。日常ではあまり「縁」や「前世」とかファンタジーチックで、そういう発想に至ることがないです。
仏教の「縁(えにし)」は「結果」です。それには前世に原因があって、それが「因」。それを仏教で「因縁(いんねん)」と言うんです。「因」があって「縁」がある。「因縁」は前世、今世、来世って繋がっていきます。
登場人物みんながその縁(イニョン)について触れているのが自分にはあまりなかった発想やって気づかされました。
かき回す人がいない展開の作品ってあんまりないですね。
シナリオは大きな事件を起こしたがるもんね。
ドラマチックな展開があるわけでもないし、ナヨンがアメリカ在住の韓国人は、日本人の僕からするとあまりピンとこない印象。この作品と巡り会えたのも縁(イニョン)です。
アメリカ映画では珍しいね。
この映画は時間についても描いていて、この監督の言葉を借りると、「相手を大事に思うことは、24年間という長い時間の隔たりがあっても可能なんだ」と。
あと、観ている時は気づかなかったんですけど、人物の配置もこだわっていて、画面の左側が過去、右側が未来を示しているんです。物語の終盤、3人がバーにいるシーンで、真ん中にナヨン、左に過去の人ヘソンで右に現在未来の人アーサーが座る。帰るシーンでは、ナヨンとヘソンが出てきて左側に歩いてくるとタクシーが右からやってきてヘソンはタクシーに乗って左へ退場する。その後ナヨンはアーサーと右の方へ歩いて行く。そういう演出。
「アラビアのロレンス」もそうです。劇中の大半の移動シーンが左から右ですけど、最後にロレンスがイギリスに帰るシーンでは左に向かって車が行く。
注意してみないと気づかない。
塩田明彦監督が書いた「映画術 その演出はなぜ心をつかむのか」は画面の構図、配置、人の動き方を細かく解説してくれています。
監督のセリーヌ・ソンは韓国系のアメリカ人の女性でこの作品は半自伝的作品で長編映画デビュー作です。
幼少期に家族みんなで韓国のソウルからカナダに移り住んで、監督自身は劇作家として活躍した。アメリカ人と結婚してアメリカで暮らしている。昔好きだった人がニューヨークに遊びに来て、3人がバーで並んで座ったんですって。その人と夫はお互い英語、韓国語も話せないで、監督がやり取りしていたら、二人が相手のことを理解しようと懸命に頑張っている姿に着想を得た。それもいいですよね。
思いが結ばれなかったとしても、相手にパートナーがいたとしても、悲しむことはなくて、相手がどうであろうと愛することは正しいことだよってこの映画が肯定しているんです。
好きなタイプの作品です。
二人がスカイプで話し合うシーンでは、部屋のセットを隣同士に作って、リアルタイムで二人の表情を撮影できるようにした。当時の回線は不安定だったので、それを再現するために音声が途切れるような仕込みにして、そわそわする状況で話すことになった。
ヘソンとアーサーが初めて会うシーンでは、それまで俳優同士が顔を合わせないようにしておいて、気まずい雰囲気を出しています。
滑り込みで観に行ってよかったです。こういうのがあるから映画館通いって止められないんです。
評判は当てにならないね。評判になってなくても自分の琴線に触れるのがある。
前評判とかあんまり気にしてないですね。
今回は熱が入りすぎました。
ちゃんと伝わってきました。
検分役の音楽噺 ♫
映画音楽作曲家の世界も、世代交代といいますか若い世代が活躍しています。
何歳をして若手と表現するか難しいところですが、90歳を超えてもなお現役のジョン・ウィリアムズようなレジェンドと比べれば
40代なんて若い世代でしょう。
今回はその中で個人的に注目している、ルドウィグ・ゴランソンについて。
スウェーデン出身の作曲家で、日本語表記ではルードウィッヒ・ヨランソンなんて書かれている場合もありますが、
ここではルドウィグ・ゴランソンと表記します。
今年40歳のゴランソン、スウェーデンを離れ南カルフォルニア大学で音楽を学んだ彼は、ここでライアン・クーグラーと出会い、
彼が監督した作品で映画音楽作曲家デビューを果たします。
クーグラーが監督した、『ロッキー』シリーズの後日談である『クリード チャンプを継ぐ男』(15)のスコアは衝撃でした。
ビル・コンティが作曲した「ロッキーのテーマ」を巧みに取り込んで、オリジナルのメロディを響かせながら作品を
盛り上げるという離れ業を披露し、凄い作曲家が出てきなぁと。
同じくクーグラーが監督したアメコミ・ヒーロー物の『ブラックパンサー」(18)では、アフリカの民族楽器を取り入れて
作品の世界観を音楽で表現。
この作品により若干34歳で見事、第91回アカデミー賞作曲賞でオスカーを手にします。
このあたりの作品はメロディ重視の音楽作りで、個人的にはそういうタイプの映画音楽が好きなものですから、
新作が発表される度に注目していました。
そんな彼が近年コラボレーションを組んでいるのが、クリストファー・ノーラン監督。
『TENET テネット』(20)から始まったコラボレーションは、ノーラン監督の最新作『オッペンハイマー』(23)でも続いています。
ノーラン監督作品の音楽は、ゴランソンの前に組んでいたハンス・ヅィマーの印象が強くて、どちらかといえばメロディよりも
リズム重視の前衛的なものが多くて、最初はゴランソンは合わないじゃないかな、と思いましたが、これまた見事にヅィマー
のようなリズム重視でありつつ、ヅィマーとはまたひと味違った仕上がりでアイデンティティを発揮しています。
それほどまでに起用な作曲家であるゴランソン、映画以外では「SW」シリーズのスピンオフ・シリーズ、『マンダロリアン』や『ボバ・フェット』
といった作品を手がけ、ますます活動の場を広げており、今後どのような音楽を聴かせてくれるか、楽しみでなりません。
(対話月日:2024年7月4日)
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