今宵のテーマは仕事。
命が削られるほどの。。。
映画をこよなく愛する素人のおしゃべりです。
皆様の観たい映画がひとつでも見つかれば嬉しいかぎりです。
映画 「家族を想うとき」 イギリスのプロレタリアートの今日
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
日本公開:2019年
〈Story〉
イギリス、ニューカッスル。主人公リッキーと、妻アビー、子ども二人は、銀行の取りつけ騒動で持ち家を失い賃貸生活となる。
リッキーは、建設に関わる様々な仕事をしていたが、あまりの激務に身体はボロボロ。
転職することに決め友人ヘンリーから紹介された仕事は個人事業主として契約する宅配ドライバーだった。
会社から車をレンタルすると、家のローンよりも高い。アビーに今の車を売りたいと相談する。アビーは看護師の仕事で車は移動手段として必要不可欠だが、車を売って仕事場へはバスを利用する。
車を購入したリッキーは、ようやく宅配の仕事を始める。宅配用端末で定められた時間内に配達が完了できたか、ルートから外れていないかを監視され、配達が遅れたり、行き先を間違えると罰金となる。リッキーは仕事中にトイレへ行く暇もなく、ペットボトルに用を足す。
移動手段がバスに変わったアビーは、患者たちに費やす時間が減ってストレスが溜まっていく。
息子のセブが学校をさぼり悪友と出かけ、夜の街で壁にスプレーアートを描いている。セブの通う学校から呼び出されたアビーは、リッキーに同席を頼む。
リッキーは仕事を代わってくれる人がいなかったため、なかなか学校へ向かうことができず、学校に着いたら面談は終わっていた。2週間の停学処分を言い渡されたセブを叱りつけるが、セブは反抗的だった。
ある日、リッキーは警察からセブが万引きをしたことを告げられる。セブは心を閉ざし、翌日車の鍵を持ち出し家出をする。リッキーは車の鍵がなく仕事に行くこともできないのだった。。。
僕が大学を卒業する間際、2020年の1月に観た、「家族を想うとき(2019)」はイギリスの映画で、その年の僕のベストテンに入っています。ケン・ローチ監督は社会派で、経済格差や貧困問題を生々しく描く監督で、その時初めて知りました。
その前の作品「わたしは、ダニエル・ブレイク(2017)」がパルムドール賞を獲りました。こちらは失業手当の映画ですね。怪我が原因で仕事できなくなった主人公のおじいちゃんダニエル・ブレイクが失業手当を申請しても却下されてだんだんと困窮する物語。
「家族を想うとき」は、今回のテーマが仕事だったので、新社会人の方々に観ていただいて、仕事に対する情熱を燃やしていただきたい。
物語は、とある一家のお父さんリッキーが宅配の個人事業主になるところから始まるんですよ。元々建設現場で働いていましたが
「人にこき使われるのは嫌だ、自分が主体となって働きたい」って面接官に向かって話して採用されるんですよ。仕事は、物流センターに荷物を取りに行って自分の車に乗っけて各家庭に運ぶ仕事です。
配達の下請けですね。
個人事業主でピンとくる通り、描かれるのは悲惨な現実です。
リッキーが個人事業主として宅配会社と契約するんですよ。1日に14時間働いて、それを週6日繰り返す。1日当たり頑張れば3万円で週に18万円ぐらい稼げれる。移動するための車も自己負担です。
下請けですからね。
奥さんのアビーは訪問看護士で、いろんな家庭を訪れておじいちゃんおばあちゃんのお世話をする。リッキーがフリーランスになってたくさん荷物を積めるバンが欲しいって言い出して、アビーが使っている車を泣く泣く売り飛ばしてバンを購入します。アビーは車移動からバスと電車になって、追い詰められていく様が描かれます。裕福な家庭ではなくて、16歳の長男セブはやんちゃな子で学校もろくに行かなくて不良とつるんでいます。12歳の長女ライザはいい子ですが、家庭のストレスからか寝付けなかったりおねしょをしたりと問題をかかえていて、見ていて辛くなるんです。
配達の仕事は徹底的に管理されていて、支給されたスキャナーを持ったまま車から何分か離れたらセンサーが反応して、早く車に戻れと指示される。ナビの機能で荷物を運ぶルートも決められています。
とあるアパートに行ったら、まず部屋がどこにあるのかで迷って、着いたと思ったら、部屋が間違っていると言われたり、車に駐禁を切られたりと踏んだり蹴ったりな目に遭う。
結局、家族がバラバラになって結末を迎える。一時は家族団らんのシーンもあるんですよ。アビーとリッキーの仕事が終わって、みんなで久々にわだかまりも解けて、楽しく食事していると電話が鳴る。それがアビーの訪問先のおばあちゃんからで、
「家に入れない状態で、何とかしてくれ」って言う。おばあちゃんは足腰が悪くて、トイレも一人で行けない状態で漏れそうだと。アビーも泣く泣くおばあちゃんの家に向かう羽目になるんです。
父母と上手くいっていなかったセブがみんなで一緒に行こうって提案して、家族で歌を歌いながら車で向かうシーンに絆されます。その分、後に迎えるラストが強烈です。
Eくんのお気に入りシーンね。
そうですね。
リッキーは休む暇もないんですよ。印象的なシーンがあって、リッキーが仕事を始める時に上司の人が、とあるものを差し出すんですよ。それが空のペットボトルです。
「時間がない時はこれで用を足せ」
リッキーは
「そんな冗談を言うな」って怒る。
仕事に追い詰められて終盤でそのペットボトルにおしっこをするシーンがショックです。
シリアスですね。
罰金もあります。車の鍵がなくなって仕事に行けなくなって上司に報告したら、罰金1万円と言われて、働いても働いてもマイナスになる。
日本の配達事情と似ている気がするし、イギリスと社会背景が似ていますね。
「家族を想うとき」はイギリスですけど、イタリア映画のネオリアリズム(ネオリアリズモ)の流れなのかも。「自転車泥棒(1950)(ヴィットリオ・デ・シーカ)」とか。
そこがリアリズムの最初やったような気がするね。社会派で一般人を主役に使って、最後に幸せになれなくて、個人が社会から取り残される。
歯車になって。
「自転車泥棒」は歯車にさえなれなかった。社会対個人の構図です。
終盤で宅配仕事をしている時に強盗に襲われる。なぐられて荷物を盗られて怪我を負う。盗まれたものの中にパスポートがあって、病院で治療していると上司から電話が来る。
「怪我は大丈夫か? 盗難品は会社で負担できる。パスポートは自己負担で」と。
それまでもいろんな事情で欠勤して、ペナルティが重なっていたのにパスポート代まで払わないといけない。10万円ぐらいって言われて横で電話を聞いていたアビーが思わず電話を取る。
「うちの夫が強盗に襲われて傷だらけになのになんてことを言うんだ。もうお前のところでは仕事をさせない」
その翌日の早朝、家族が寝ている間に満身創痍のリッキーがこっそりと家を出るんです。車に乗ってエンジンをかけるとセブが車の前に出てきて、
「どこに行くんだ」と止める。騒ぎを聞いてアビーも出てきて止めるんですよ。
「そんな状態で行ったら死んじゃう」
でもリッキーはそれを振り切って車を走らせて、泣きながら運転している姿で幕を閉じる。
この映画が公開された後に実際に似たような事件があって、糖尿病を患っているフリーランスの宅配の男の人が、ある日診察を優先して病院に行ったらペナルティを科せられちゃって罰金を払わされた。それ以来病院に行けなくなって仕事を続けた末に命を落とす事件で、まさにこの映画と似ています。
傷だらけの状態で車を走り出したリッキーのその先を思うと、やるせない気持ちになりますね。
日本でも社会で一番必要とされる分野に負荷がかかりますね。ドライバーの負担、次は医療従事者に負担の波が押し寄せますね。
訪問看護師のアビーも、パートタイマーであんまり稼げなくて、それで車を買うにもローンを組んで、気の毒になっちゃうんですよ。
邦題の「家族を想うとき」の原題が「Sorry We Missed You」。これは不在連絡票の「ご不在でしたので持ち帰りました」という文言にかけられていますけど、あのラストを見ると別の意味に読めてきて、お父さんを亡くしたかのようなWミーニングに思えます。
今回の仕事がテーマで、これを新社会人に送りたいなって。
つらい現実を知っておく。
会社に雇用されているありがたさが分かるかも知れない。
これを観た直後は仕事を頑張ろうと思いましたから。
すごいですね、頑張ろうと思うって。
社会派の映画作家は、ここに世界の目が向けられることで政治が変わるかもっていうところを目指していると思うんです。
イギリスとアメリカの俳優さんは政治的なスタンスを表明します。
ケン・ローチ監督は前作の「わたしは、ダニエル・ブレイク」で監督としては引退表明を出していましたが、映画を作る際にいろんな情報収集をして、まだ描いてないテーマに気づいて、引退宣言を撤回して、またこの映画を作った。
そしてまた、新作を作りますね。
理想的な社会ができないからいくらでもネタがあるね。
そうですね、尽きることはないですもんね。
そういうところに目がいってしまうだろうし。
リッキーが学校に呼び出されるシーンがあるんですよ。セブが授業をさぼっていることで面談をして、家に帰ってセブを叱る。
「ちゃんと授業に行って、いい大学出ろ」と、セブは両親の姿を見て、
「大学出てもこんな仕事してるんやったらやだよ」と言う。それがまた辛くて。。。
演技はみんなどうやったんですか?
是枝監督の作品では素人を使う時は、カメラを回しっぱなしにするんですよ。
「はいスタート」ってやると緊張するし。。。
その方が自然体でいられるから。
主人公を演じている人はクリス・ヒッチェンっていう人で配管工として20年以上働いた後、40歳過ぎてから演技の道へ。
そっちに行くんやね。
ちょうどこの2019年の12月ってこういう経済格差を描いた作品が多くて、「パラサイト 半地下の家族(2020)」や「ジョーカー(2019)」が印象に残っているんですよ。
あちらは物語性が強くて、こちらはリアリズムですね。
Eくん
年間 120本以上を劇場で鑑賞する豪傑。「ジュラシック・ワールド」とポール・バーホーヘン監督「ロボコップ(1987)」で映画に目覚める。期待の若者。
サポさん
「ボヘミアン・ラプソディ」は10回以上鑑賞。そして、「ドラゴン×マッハ!」もお気に入り。主に洋画とアジアアクション映画に照準を合わせて、今日もシネマを巡る。
キネ娘さん
卒業論文のために映画の観客について研究したことも。ハートフルな作品からホラーまで守備範囲が広い。グレーテスト・シネマ・ウーマンである。
検分役
映画と映画音楽マニア。所有サントラは2000タイトルまで数えたが、以後更新中。洋画は『ブルーベルベット』(86)を劇場で10回。邦画は『ひとくず』(19)を劇場で80回。好きな映画はとことん追う。
夕暮係
小3の年に「黒ひげ大旋風(1968)」で劇場デビュー。大興奮も束の間、開演時に照明が消え気分が悪くなって退場。初鑑賞は約3分となった。
映画 「ニキータ」 再生の先に果たして贖罪はあったのか。
監督・脚本:リュック・ベッソン
日本公開:1991年
〈Story〉
深夜、パリの薬局に麻薬中毒の少年少女達が薬目当てに乱入、すぐに警察が到着し銃撃戦となる。
彼らは銃弾に倒れたが、一人残った少女が朦朧状態で警官を射殺する。
少女は取調べで男性名の「ニキータ」と名乗った。終身刑となったニキータは薬を打たれ、真っ白な個室で目覚めたニキータの前にボブという男が現れる。
死亡を偽装されたニキータに、ボブは政府の秘密工作員に就くよう打診をする。あるいは死ぬかと選択を迫る。ニキータは抗えず、暗殺者としての訓練を受けることになった。
ニキータの反抗的な態度に業を煮やした上官はボブに対し、2週間の猶予を言い渡す。ボブの真意を理解したニキータは、銃の扱いや格闘、立ち居振る舞い、マナー、化粧の仕方までマスターする。
3年後の誕生日にニキータは初めて外出を許されボブにレストランにエスコートされる。
そこで、卒業試験にあたる暗殺任務の司令をうけるのだった。。。
「ニキータ(1991)」のあらすじは、不良グループ4人がドラッグを盗みに入るところから始まります。通報されて警官が来てしまう。グループの一人の女の子ニキータが薬物で酩酊状態になっていて善悪の判断も判らないまま一人の警官を殺してしまいます。警官殺しの罪で無期懲役になって刑務所に入れられるんです。
そこで死んだことにされます。麻酔を打たれて目が覚めたら密室で、スーツを着た男の人が入ってきて
「秘密工作員になれ」と言われる。自分の存在を消して新しく裏の人間で生きるのが大きいストーリーです。
オープニングは若者4人が並んで歩いている背中にタイトルが入るのがかっこよくて、引き込まれました。
ニキータは襟首を持って引き摺られている。
あん中の一人のパパが経営しているドラッグストアを襲うんですね。
そうですね。
そんな酷なことを。。。
もっとすっと入れなかったのかと思いますね。
ニキータの家族は描かれていないですね。
麻酔を打たれる時に、「お母さん」って泣いていました。
強盗の共犯者の友達は?
銃撃戦で全員死んでいます。
ニキータは机の下でずっとラリっていた。
ヘッドフォンをしていたので、気がついてなかった。
その後、ニキータが白い部屋の中で目が覚めた時に、あの世かこの世かと戸惑うシーン。
セリフがなくて、ニキータがベッドから起き上がって足を伸ばして床に触れる、その足先のカットを撮っているんですよ。床に触れた時の実感。脚本は何も喋らせない。そして、咳をするんですね。あれは肉体が現実世界と交差する感覚ですね。
細かいとこまで見ていますね。
セリフがないから視覚が立ちますね。
生まれ変わったニキータは武術やマナーといろいろ習わされます。銃と武術の腕前がよくて、でも自分の感情をコントロールするのが苦手で、見限られそうになります。
「これ以上見込みがなかったら終わらせる」と。自分は死んだことになっているし、それ以外に生きていく術がないんで、頑張るんですね。
20歳になって外出したいと言うと、「あかん」って言われて、でも指導役のボブから誕生日ケーキをもらって絆が生まれます。
ボブってユアン・マクレガーに似ていない?
似ていますね。
フランスの人でチェッキー・カリョという人だそうです。
もう一人の指導役が高齢の女性アマンドで、女らしく生きることを教えてくれます。
「女を武器にして戦うんや」と言われます。今までは男の子とつるんでいて、興味がなかった。化粧を覚えて大人の女性になっていく過程が描かれています。
明示はされていませんが、アマンドも自分(ニキータ)と同じ道を辿ってきたのかと問いかけるシーンで、同じように社会から捨てられてしまった存在だったことも示唆されています。
アマンドがジャンヌ・モローです。「死刑台のエレベーター(1958)」のヒロイン。
ジャンヌ・モローはフランスのヌーベルバーグ時代の大女優で、大好きな人が世界中にいっぱいいる。
その経歴があってのニキータからの言葉を投げかけやったと。。。
キャストとしての背景も含まれているってことですね。 日本でやるなら誰かなって考えたんですけど。
樹木希林で。
いい感じ。もうちょっと、強さも感じたいですよね。
美人やったっていうのがやっぱり欲しいな。暗黒映画(フィルム・ノワール)にも出て、美人で通っていたから。
綺麗でしたね。
それから何年か経って、ニキータは大人の女性になって任務を任されている。
また誕生日が来てボブがディナーに連れて行きます。テーブルにプレゼントが乗せてあるんですよ。ニキータがそれを開けると銃が入っている。
「後ろの席にターゲットがいる」、任務と知ってがっかりする。仕事を遂げた後、聞いていた逃げ道が封鎖されていて、敵に追われながらも何とか逃げ切ります。ボブに文句を言ったら、
「わざとだ。任務を冷静にこなせるようになれ、これで卒業やから」って言われるんですよ。今までは施設の中で暮らしていて、外に出られなかったのが、ニキータは一人で暮らせることになる。ただ随時任務の電話が架かってくる生活が続く。
電話がかかってきてコードネームを言われると仕事ですね。
「ジョセフィーヌ」
ナポレオンの奥さんの名前ですね。
これは何か意味がある?
あれは優雅さとか。。。
強い女性像。
それを期待したコードネームだったのかな。
一人暮らしが始まる時にウキウキしている様子がかわいくて、スーパーに買い物に行くと、歳の近い女の人と同じものを何十個も買って山盛りのカートをレジに持って行く。
レジの店員さんがマルコっていう男の人で、ニキータが食事に誘って仲良くなるんです。マルコがめちゃくちゃいい人で、ニキータは任務のことを言えなくって、看護師って嘘をついて一緒に暮らすようになります。
ボロボロな部屋を見つけて綺麗にペンキを塗り直しました。
マルコが塗ってくれたね。全部やってくれる。
ベッドに食事も持ってきてくれます。いい人でした。
マルコは船の設計士になりたかったの?
そうですね。スーパーを辞めてましたね。
ニキータは急な任務が入った時も、夜勤やねんて嘘をつくんです。
ニキータが自分のことを全然喋らない。マルコが昔のことや、友達や家族の話を聞いても、はぐらかされて教えてくれないので、
「家族を連れてきてよ」と。そんな話の時にボブから電話がかかってきて、
「食事に来てほしい」ってお願いをすると、ボブは親戚のおじさんとして来てくれるんですよ。マルコがニキータのことを聞くと、ボブは知っているかのように流暢に語るんです。そしてボブが二人でベネチアに行っておいでとチケットをくれる。
二人で旅行に行く。そこでも任務が入るんですね。
スナイパーの仕事で、浴室に行けと言われて浴槽の下にある銃を組み立てる。
信頼がすごいですね。マルコが入って来ないと分かっている。
マルコも気づき始めていて
「昔のことを教えてほしい、罪を犯していたとしても嫌いにならないよ」と言ってくれる優しい人です。
鋭いところを突いてくる。
全部知ってそうな。それでも一緒にいたいって言ってくれる。ニキータにとっても大事な存在になっている。
前に赤毛の話をしましたが、赤毛はやんちゃな女の子の象徴で、最初ニキータは赤毛ですよ。後半はカツラをかぶって黒くなっている。
変化とコントラストを表しています。
人として成長していますね。
あれもマルコとの関係からでしょうね。
オープニングのクレジットでジャン・レノって出てきたのに、全然登場しないなって。。。
出てきます。この作品からのスピンオフで「レオン(1995)」が生まれました。
そういうことなんですか。なるほど。
終盤でソ連の情報を盗む司令があって、ジャン・レノが出てくる。
新しい任務。
最後の仕事はニキータが仕切ってチームを作る。成功させたいのに上手くいかない。
仲間の変装がバレます。
現場に電話がかかってきて、事情が変わった撤退しろと。ニキータのチームの失敗じゃないけれど、急遽取りやめになる。それでもニキータは突き進もうとする。
ミッションを失敗してしまって、全員殺すしかなくなって掃除人ヴィクトル(ジャン・レノ)が呼ばれる。
ニキータは殺したいわけじゃないんで話が違うって、めっちゃ動揺するんですね。
衝撃的なのはヴィクトルが死体を始末する時に、お風呂場で塩酸をかけるシーン。
掃除人やから、死体を溶かそうとするんですね。
暴れ出すのを押さえながら「殺してなかったのか」って責められるのが印象的ですね。
掃除人じゃないじゃん、スマートじゃない。
対照的な感じです。ニキータは華奢で、ヴィクトルはでっかくてニキータを子供のように持ち上げたり。。。
激しい役でしたね。いっぱい人を殺して逃げて、最終的にヴィクトルも死んでしまいます。
ニキータちゃんはどうなのよ。
ニキータは逃げました。でも任務に失敗したので、組織から追われる身になるんですよ。家に戻ると、マルコは
「全部分かっているよ」と言うんですよ。
「看護師が嘘で、どんな仕事をしているかも分かっているよ」
マルコがこれからのことを訊くと、ニキータはここを去ると言う。マルコも一緒に行くって言うけど、マルコが寝ている間にニキータは行ってしまう。お互い愛し合っていても一緒にいられない。大事な存在だし、ニキータも唯一の愛だと言う。
殺し屋家業は辞めちゃうわけ?
そこは明かされてないです。また違う自分になって生きていくしかなかった。
フランス映画らしい終わり方です。
アメリカ映画だったら、ニキータが去っていくシーンが入るところを、この映画ではボブとマルコが喋っているシーンで終わるんです。
ボブがマルコに会いに来るんですね。ニキータの任務を説明して、
「情報を持って逃げてしまった」と話すと、
マルコは「僕が持っている」ってマイクロフィルムを出すんですよ。
マルコが
「ニキータがボブに書いた手紙を破ったよ」と言うのがめっちゃいいんですね。
ボブとニキータも繋がりがあって、ひどい任務だったけど信頼し合っている。ボブが親のような存在やったのが分かる。マルコが
「あなたのためにニキータが何人殺したと思うんだ? 」と問うんですね。そこにもいろいろ思うことがあって手紙を破いた。
「お互い寂しくなるな」と喋って終わるんです。
めっちゃいいなと思います。
微妙な三角関係ね。ボブもニキータから挑発されていたね。卒業する時にボブが出ていこうとすると、キスをされる。
ボブが最初冷たそうな人でしたけどね。なんだかんだでかわいがっていたのかな。
ずっと庇っていたからね。上司から、
「いい加減役に立たないなら。。。」って言われた時に、
「待ってほしい」と。
ネットで誰かの考察を読んだら、実はマルコも組織の人で全部知っていてニキータの監視役だったと。
そういう筋読みもできるんだけど。。。
純粋に普通の人として出逢っていてほしいです。
どういう意味かなって思ったシーンがあって。
卒業して初めての任務で、ホテルのスタッフになって食事だけ持って行って帰ったら
「これで任務は終わりやから」と言われる。あれってなんか意味あるのかな。
あれはニキータに、こんな簡単で楽な仕事もあるのかって思わせるためじゃない。物語の中でね。喜んでいたもんね。
この作品を昔に観た時は「マイ・フェア・レディ(1964)」の型かなって思ったんですよ。
私もそう思いました。
鋭いな。
それがキリスト教的な気配がしたんですよ。
裁判にかけられて死んでから復活します。贖罪からの再生。許しがあっての再生です。
最後にニキータが去って行く姿を撮らなかった。いわゆるキリストの昇天です。
キリストの復活の構造を重ねているように思いました。
同じリュック・ベッソン監督の「ANNA/アナ(2020)」も女性の暗殺者が主人公です。
「コロンビアーナ(2012)」は「レオン」のナタリー・ポートマンが演じた女の子が成長して殺し屋になるっていう脚本が元です。
それが実現しなくて、脚本の骨格のまま別の話になった。
ニキータのフレームが色々な映画に生かされている。
ニキータが元ネタでしょうね。
他の監督も同じ骨格で量産しますね。
検分役の音楽噺 ♫
リュック・ベッソン監督の長編1作目は『最後の戦い』(83)という近未来SF映画で、『ニキータ』(90)は4作目になります。
音楽はベッソン作品とは『最後の戦い』から、今年公開された19作目に当たる『DOGMANドッグマン』(23)まで、
そのほとんどをエリック・セラが担当しており、もちろん『ニキータ』も彼がスコアを書いています。
セラはレコーディング・ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせ、ベッソンの『最後の戦い』から映画音楽の世界に。
個人的にはベッソンの長編3作目『グラン・ブルー』(88)、6作目の『レオン』(94)のスコアが印象深くて、これらの作品が
彼の映画音楽作曲家としてのイメージを確立したと考えます。
ベッソン作品以外では『007/ゴールデンアイ』(95)のスコアが印象深いです。
それまでの007シリーズのスコアは、ジョン・バリーが一つのスタイルを作り上げ、僕自身も大好きなのですが、
このシリーズ17作目ではボンド役が先のティモシー・ダルトンからピアース・ブロスナンに交代になったばかりか、
プロデューサーの意向か、音楽面に対しても変化を求められることに。
そこで当時、『レオン』のスコアが評判だったエリック・セラに白羽の矢が立ったのでした。
それまでのアコースティックなスコアから、いわゆるシンセを基調とした打ち込み系のスコアへの変化は
斬新ではありましたが、僕を含め従来のスタイルが好みだった向きにはかなり抵抗がありました。
冒頭のガンバレル(銃がボンドを狙っているのを返り討ちされるお決まりのショット)の音楽からバリバリの
ハウスミュージックだったので、最初聴いたときは「うわぁ」と声を上げるくらい驚いたものです(笑)
でも、ジェームズ・ボンドのテーマをシンセドラムだけで演奏する斬新なスコアはセラなりの自己主張だったのでしょうし、
エンディング・テーマも自身が唄う(スコア作曲者がヴォーカルまで担当するのはシリーズ中、いまのところ本作だけ。
ちなみに主題歌はティナ・ターナーでしたね)など、当時乗りに乗っていたセラの様子、というか、むしろ90年代初期の
映画を取り巻く状況をも雄弁に語っている作品&音楽ということで、当時は抵抗ありましたが今ではあれも有りかな、
と思えるのは自分が成長したからでしょうか(笑)
そんなエリック・セラ、2016年の来日ライブから8年ぶりの今年の3月、東京で来日ライブが行われました。
残念ながら僕は聴けませんでしたが、代表作から最新作『DOGMANドッグマン』まで演奏したとのこと。
日本にも多くのファンがいますので、さぞかしたまらないライブになったことでしょう。
女性暗殺者 映画の系譜
- 「アサシン(1993)」
- 暗殺者:ブリジット・フォンダ、監督:ジョン・バダム
- 「ウォンテッド(2008)」
- 暗殺者:アンジェリーナ・ジョリー、監督:ティムール・ベクマンベトフ
- 「チョコレート・ファイター(2009)」
- 暗殺者:ジージャー・ヤーニン、監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ
- 「ソルト(2010)」
- 暗殺者:アンジェリーナ・ジョリー、監督:フィリップ・ノイス
- 「キック・アス(2010)」
- 暗殺者:クロエ・グレース・モレッツ、監督:マシュー・ヴォーン
- 「ハンナ(2011)」
- 暗殺者:シアーシャ・ローナン、監督:ジョー・ライト
- 「コロンビアーナ(2012)」
- 暗殺者:ゾーイ・サルダナ、監督:オリヴィエ・メガトン
- 「LUCY/ルーシー(2014)」
- 暗殺者:スカーレット・ヨハンソン、監督:リュック・ベッソン
- 「ロシアン・スナイパー(2015)」
- 暗殺者:ユリア・ペレシルド、監督:セルゲイ・モクリツキー
- 「アトミック・ブロンド(2017)」
- 暗殺者:シャーリーズ・セロン、監督:デヴィッド・リーチ
- 「レッド・スパロー(2018)」
- 暗殺者:ジェニファー・ローレンス、監督:フランシス・ローレンス
- 「悪女/AKUJO(2018)」
- 暗殺者:キム・オクビン、監督:チョン・ビョンギル
- 「ガンパウダー・ミルクシェイク(2021)」
- 暗殺者:レナ・ヘディ、アンジェラ・バセット、ミシェル・ヨー、カーラ・グギノ、監督:ナヴォット・パプシャド
- 「マーベラス(2022)」
- 暗殺者:マギー・Q、監督:マーティン・キャンベル
- 「キル・ボクスン(2023)」
- 暗殺者:チョン・ドヨン、監督:ビョン・ソンヒョン
- 「ザ・マザー 母という名の暗殺者(2023)」
- 暗殺者:ジェニファー・ロペス、監督: ニキ・カーロ
- 「バレリーナ(2023)」
- 暗殺者:チョン・ジョンソ、監督:イ・チョンヒョン
- 「女の仕事(2024)」
- 暗殺者:長谷川千紗、監督:野火明
(対話日:2024年4月18日)