お家シネマで癒されましょう

第九夜「映画の始まりは出逢いから」Side-A

映画好きな素人のおしゃべりに、お付き合いください。
皆様がひとつでも観たい映画が見つかれば嬉しいかぎりです。

「アマデウス」の話をしよう。 天才が更なる天才と出逢う物語。

監督:ミロス・フォアマン
脚本・原作:ピーター・シェーファー

〈Story〉
1823年11月のある夜、ウィーンの街で自殺をはかった老人・アントニオ・サリエリが、精神病院に運ばれる。彼は病床で「許してくれ、モーツァルト、君を殺したのは私だ」と言い続けていた。
後日、サリエリを司祭フォーグラーが訪問し、話を聞くと、サリエリは驚愕すべき告白を始める。
サリエリは、若い頃は音楽への愛と敬虔な信仰心を持ち、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世に仕える作曲家として、人々から尊敬されていた。彼の前に天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現れたことが、サリエリの人生のすべてを変える。モーツァルトの下品で礼儀知らずな人間性は他の作曲家から軽蔑されるが、サリエリだけは、「モーツァルトの才能が神の寵愛を受ける唯一最高のものであること」を理解し、自分は凡庸な人間だと思い知らされる。
そして、モーツァルトへの激しい嫉妬が、大きな悲劇を生んでいく。

アマデウス(1984)」を改めて観たら、「ドラゴン×マッハ!(2015)」の戦闘シーンで流れる曲がモーツァルトのレクイエムやったのかって。「アマデウス」の終盤で主人公サリエリが、怪しい黒い服を着て、作曲依頼をしていた曲やった。

時間がかかって、なかなかでき上がらなかった曲ね。

「アマデウス」は、アカデミー賞8部門を受賞しています。

ディレクターズカット版の3時間になっているのを観たので、公開当時の「アマデウス」と違うかもしれない。

モーツァルトの作品にはケッヘル番号(注1)が付いていました?

626曲あるってことですよね。
モーツァルトはお下品な人だったのは有名ですよ。

それは知らなかった。天才やっていうのは知っていたけど。偏屈な人だとか。

あんな小さな時から皇帝の前で演奏をしていたんやね。

オーストリア皇帝ヨーゼフ2世ですね。

モーツァルトは上流の出身ではない。サリエリは上流の人。

「アマデウス」は大学の授業で初めて観て、芸術系の学科の先生がおすすめしてくれたテーマで面白かったです。

個人的には同じような画面が3時間ぐらい続くから飽きました。

サリエリの心境が面白かったね。すごく人間的で、モーツァルトを理解しているのがサリエリだけで、当時モーツァルトが大衆に受けなかったというのが面白い。

モーツァルトの方が有名ですけど、あれを観ると当時は理解されない芸術だったのかと思います。サリエリだけが才能に気づいている。そういう存在がいいなと思います。

サリエリも天才で、さらにモーツァルトが遥かに天才ですね。大衆が解る天才はサリエリだよね。そこを超えると孤高になってしまう。

天才過ぎて理解者がいない。

モーツァルトの笑い方が下品でした。

これはサリエリと対角線におきたいための演出やね。
サリエリはこの(自分の)曲は知っているかって司祭に訊く。

モーツァルトの曲は知っているのに。

私も映画を観るまでサリエリのことを知らなかった。サリエリの曲を聞いたのがこの映画で初めてでした。
でも、当時の音楽界の頂点ぐらいの人ですよね。

時間が経つと評価が変わってくるね。サリエリはベートーヴェン、シューベルト、リストを育てた。なのにモーツァルトに嫉妬する。

他人のことを気にしちゃだめですよ。

嫉妬をするから、物語が生まれる。

ラストのサリエリの発言がすごいよ。
「凡庸なるものの守り神が、いくら頑張ったところで才能が天から降って降りて来るわけでもないから、自分は一般人の守り神でしか選択肢がない」
守り神というのが面白いですけどね。

一般人ではないです。

そう凡庸ではないよね。

才能があったからモーツァルトの才能が分かった。

サリエリはモーツァルトの楽譜を見ただけで分かってしまう。

皇帝に仕えるサリエリの同僚たちはモーツァルトを単なる下品なやつとしか思ってなかったんですね。

誰も理解はできていないよね。皇帝が言ったらそのまま「その通りです」という人ばっかりやもんね。
でもモーツァルトは堂々と皇帝に対して、「いやこれをこうやってやりたい」って、詳しく説明をしていたね。

サリエリは青年時代に音楽の才能が欲しいと神様に祈って、その時にちょうど父親が亡くなる転機があって、神様を信じるんですね。当時の宗教観ではキリスト教的な徳の篤い勤勉な生活をしていれば、神から恵みを受けられると思っている。私は才能が得られるかどうかよりも、どれだけひたむきにやれるかが重要かなと思いました。

当時のキリスト教の世界でも、そう思う人はいて、
「真面目に信仰しているのに何故神は私に恵を与えてくれない」っていう意見に対して、
「神はそんなもんではない、神が選ぶんだ。なぜ選ばれるか選ばれないかは、人間のレベルでは分からない」と言われていた。

神の考えていることが人間ごときには分からないということですね。

また、ストーリーの構造がすごく複層的というかね。

構造ですか?

いろんな三角関係がある。例えば、皇帝とサリエリとモーツァルトの三角関係があるでしょ。次にモーツァルトと奥さんとサリエリの三角関係。一番はモーツァルトとサリエリと神の三角関係。神との関係が日本人が難しいところかもしれませんね。

キリスト教の観念が強いと思います。日本人が当時観た時に、どこら辺までそこを考えてシンパシーを感じたのかな。

それは、分からないね。

最初に老人のサリエリが社会的に成功して立派なお屋敷に住んでいて、いきなり自殺未遂を図って精神病院に入れられる。病院に来た司祭様に罪の告白をするという形で話が進んで行く。罪を打ち明けることがキリスト教的というのと、自殺がキリスト教では大罪で、サリエリは自殺をすることで、それまでの篤い信仰心を打ち捨てる。

僕は信仰を捨てるタイミングはもう少し前だと思うんです。才能は神から与えられるもの。才能を与えてくれない神への信頼がだんだん薄れてくるよね。自分は女の人も諦めて神に誠心誠意尽くしている。ところがモーツァルトは対局的で、女の人に手を出すし、下品だし、
「品性もないのにモーツァルトに才能を与える神って何や」と、だんだん疑い出して、モーツァルトの奥さんに手を出そうとする、あの辺から神を捨てたのかな。

信じられなくなっているんです。

神はモーツァルト側に付いている。自分はもう見放されたと考える。

冒頭の精神病院の描写がすごくて、建物も藁だらけで全裸の人がいたり、当時あんな感じやったのかってびっくりしました。

サリエリは個室が与えられているけど、廊下にいろんな患者さんが押し込められている。

特別な待遇ですかね。

地位のある人で、お金もあるからかなって思ったけれど。

精神病院がある時代かって驚きました。あまりそういうイメージがなくて。精神病を医学ととらえているんやって。

収容所みたいだけど。

隔離する意識の方が強いのかな。

精神病院って、「カッコーの巣の上で(1975)」とリンクしていますね。

サリエリが神様に懺悔するはずなのに、モーツァルトに許しを乞うのもすごい。

モーツァルトに嫉妬心があるけれども、本当はモーツァルトが好きなんやね。アンビバレントというか、好きだし、嫌いだし、殺すしね。

えらい遠回しな殺し方。(サリエリがレクイエムの作曲を依頼して追い詰める)

殺したと言えるのか、微妙なところです。

あれは映画の中では衰弱死なのかな。

あれは謎でしょう。当時のことは分からないね。(死亡診断書では「急性粟粒疹熱」)

毒殺説もある。
神で思い出しました。気づいた点をメモっていて共通点を見つけました。サリエリが小さい頃、才能があったのに音楽に理解を示さなかった父親が憎くて、神様に祈ったら父親が死んじゃった。嫉妬していた相手モーツァルトも最終的に死ぬ。父親もモーツァルトも厄介者は消えたけど、サリエリ自身が才能を与えられたわけじゃなくて、そこがかわいそうで、気の毒に思えました。残酷やなって。

最初は才能を与えられていたみたいだね。
サリエリはオペラの本場のイタリア人。モーツァルトはドイツ人で、お父さんがザルツブルクにいたね。

オペラをドイツ語でやりたいという。

イタリア語でやらないのが問題になっていたね。

一番好きなシーンが、モーツァルトの奥さんコンスタンツェとサリエリが会うシーン。モーツァルトの楽譜を審査してもらいに勝手にサリエリに持っていく。楽譜の冊子を開く度に、音楽(BGM)が変わるところが印象的。書き損じがない楽譜を見てサリエリが作曲風景を浮かべるところが好きですね。モーツァルトは思いついた瞬間に曲ができる。(コンスタンツェはオリジナルだと楽譜を渡した。つまりモーツァルトは下書きをしないことが分かる)

頭の中にできているんですよね。それを写すだけ。

これは撮り方としても映画でしかできない表現をしている。

サリエリはその後で譜面をバラバラって落とす。サリエリが立ち去る時に楽譜を踏んでいく。あそこでサリエリが音楽を捨てたことがはっきりと解る。

神に対する猜疑心と不満がどんどん高まっていっての最後、となるのかなっていう。年代が詳しく出てなかった気がするんです。モーツァルトがなくなってからサリエリが自殺未遂をするまで間があると思うんです。数年ぐらいたってそうな感じだったんです。

自殺する時は歳をとっていたね。

それが、モーツァルトが亡くなった後に心理的なストレスで老け込んだのかは分からない。そういうよくある表現。
サリエリはモーツァルトを天才だと認めつつも、最終的にモーツァルトを排除しようとする。そのやり方が遠回しで、サリエリは表面的には良い人のままでいようとする。自分の世間的な立場を変えられない。自分のやってきた人生、信仰心を持ち続けて徳の篤い人物でいることを捨てきれないところがあるのかな。
モーツァルトがオペラ「フィガロの結婚」を作って公演するけど、5回で打ち切られてしまうところがすごく好き。サリエリが裏から手を回して公演を打ち切りにしておいて、サリエリは5回とも観に行っているのが、ひねくれているなあと思って。

モーツァルトが好きなんやね。

死ぬ間際までモーツァルトはサリエリをいい人だと思っていた。

Eくん

年間 120本以上を劇場で鑑賞する豪傑。「ジュラシック・ワールド」とポール・バーホーヘン監督「ロボコップ(1987)」で映画に目覚める。期待の若者。

キネ娘さん

卒業論文のために映画の観客について研究したことも。ハートフルな作品からホラーまで守備範囲が広い。グレーテスト・シネマ・ウーマンである。

サポさん

「ボヘミアン・ラプソディ」は10回以上鑑賞。そして、「ドラゴン×マッハ!」もお気に入り。主に洋画とアジアアクション映画に照準を合わせて、今日もシネマを巡る。

夕暮係

小3の年に「黒ひげ大旋風(1968)」で、劇場デビュー。照明が消え、気分が悪くなり退場。初鑑賞は約3分。忘却名人の昔人。

アマデウス
注1:ケッヘル番号

オーストリアのモーツァルト研究家ケッヘルが1862年に「モーツァルト全音楽作品年代順主題目録」にて、モーツァルトの全作品に年代順に付けた番号。日本や英語圏では「交響曲第41番ハ長調 K.551」のように表記、ドイツ語圏ではKV 551と表記される。最後のK.626は未完に終わった「レクイエム」となる。

トム・ハルス
カッコーの巣の上で

監督:ミロス・フォアマン。脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン。原作:ケン・キージー。マクマーフィー(ジャック・ニコルソン )は刑務所から逃れるため詐病によって精神病院に入院してきた。向精神薬を飲んだふりをし、病棟のルールに反抗していく。グループセラピーをやめてテレビでワールドシリーズを観たいと言い出して、患者たちに多数決を取ったりする。最初は患者たちは決められた生活を望むが、マクマーフィーと生活をするうちに彼に賛同するようになる。マクマーフィーの反抗的な行動が管理主義的な婦長の逆鱗に触れる。

亡くなった父の影に怯えるモーツァルト

「「フィガロの結婚(注2)」をオペラにするべきではない」って、皇帝は最初に言っていたね。

国民を刺激するから。皇帝の妹のアントワネットは「フィガロの結婚」を認めたことで民衆から嘲笑されていた。

踊りがあるのは駄目だった。

そうそうバレエ。最初は音楽なしでバレエをやっていた。皇帝が
「それじゃあ、あかん」って言う。

お父さんが亡くなって、「ドン・ジョヴァンニ(注3)」を作る。

劇中では特に語られていなかったです。モーツァルトはお父さんの死を知る。

あれはショックでしょう。

黒騎士をやたらと恐れていた。

サリエリは、ドン・ジョヴァンニの黒騎士がモーツァルトのお父さんに重なることがすぐに分かってしまう。で、それを利用して殺人の策略を講じる。

モーツァルトが譜面の指示をして、筆記するサリエリも楽しそうでした。

モーツァルトの言葉が早すぎて、サリエリが追いつかなかったね。

興奮が伝わりましたけれども、モーツァルトの音楽に触れている時のサリエリの顔が、なんとも言えない。

最期を看取るのもサリエリ。

モーツァルトが亡くなるのって、彼自身の性格にも原因がある。元々借金を作っていた。サリエリが追い詰めていったけど、そうしなくてもモーツァルトは‥。

浪費家だよね。お酒も飲むし、遊びにも行くし。

最後に作ったのが自分のレクイエム(「レクイエム ニ短調 K. 626」)ですよね。

モーツァルトってあんなに低い階級のお葬式やったんや。

やっぱ身分が低いから、ああいう葬られ方ですか?
大きい穴に他に遺体袋がありましたよね。

木の棺桶に入れて墓地に行く。牛が道端にいて共同墓地で、そのまま袋ごと落とされて、石灰を撒かれる。

めっちゃかわいそう。

当時実際にそうだったんですか? 史実としてああいう共同墓地の埋め方だったのか。

石灰を撒くところもリアルやね。あれも病気を封じようとしているよね。(当時はペストが流行していた)

サリエリがモーツァルトに対しても裏も表もずっと仲良くしているという設定があったらどうなっていたんだろうと思いました。

サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)をやっている人って上手いよね。

サリエリ役の人はシュワちゃんの「ラスト・アクション・ヒーロー(1993)」に出ていました。主人公の男の子が映画オタクの設定で、シュワちゃんが主演している映画の中に入ってしまう話です。サリエリ役の俳優さんが悪役を演じていて、主人公が指差して
「モーツァルトを殺したやつや」っていうシーンがある。

世間的にはサリエリは音楽的な素養がある人だけど、モーツァルトがそこにいるから自分は駄目やって思ってしまう。

そのことがわかるシーンが、皇帝にサリエリが
「今作ってみました」と譜面を持ってくるシーン。
皇帝が
「俺に弾かせろ」と演奏する。
そこへモーツァルトが来て、
「これはこいう風にアレンジしたら」って編曲技術を見せる。そこでレベルの違いが分かる。

サリエリも作ったオペラが成功して、皇帝から
「お前が音楽界で一番だ」とお褒めの言葉を直接いただくほどなのに。

あの時代にハマるパターンをサリエリがきちっと抑えている。

注2:フィガロの結婚

ウィーンのブルク劇場で1786年5月1日、モーツァルトが30歳の時に初演された。封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて、貴族を痛烈に批判している物語。ある程度の好評を得たが、原作の貴族批判はおおむね薄められているとはいえ危険視する向きもあり早々に中止。ウィーンでは期待したほど人気を得られなかったものの、プラハの歌劇場で大ヒットした。

注3:ドン・ジョヴァンニ

モーツァルトが1787年に作曲したオペラである。初演はプラハのエステート劇場で同年10月29日にモーツァルト自身の指揮で行われた。『フィガロの結婚』がプラハで大ヒットし、新しい作品を依頼されてできたのがこの作品である。ドン・ジョヴァンニはスペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語の主人公である。モーツァルトは、この作品を「ドラマ・ジョコーソ(喜劇的)」と呼んだ。 第2幕の最後にドン・ジョヴァンニの地獄落ちに至る場面の強烈な音楽に悲劇性を感じ取ることができる。

ラスト・アクション・ヒーロー

監督:ジョン・マクティアナン、脚本:デヴィッド・アーノット・シェーン・ブラック。映画好き少年ダニー(オースティン・オブライエン)は、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のアクション映画『ジャック・スレイター』シリーズの大ファン。ある日、親しい映写技師ニックの計らいで、『ジャック・スレイター』シリーズ最新作の試写をひとりで鑑賞できることとなった。ニックはダニーに「魔法のチケット」を手渡す。 ダニーが『ジャック・スレイター』を観ている最中、悪役が投げたダイナマイトが突如スクリーンから飛び出し、逃げようとしたダニーは眩い光に包まれる。気がつくと、そこはジャックが運転する車の中だった。F・マーリー・エイブラハムはFBI捜査官役で登場する。

「プリティ・ウーマン」 買収屋と娼婦が出逢う映画。

監督:ゲイリー・マーシャル
脚本:J・F・ロートン

〈Story〉
実業家のエドワード・ルイスは、ビバリーヒルズでホームパーティーから抜け出したが道に迷い、ハリウッドの繁華街の路肩に車を止める。売春婦のヴィヴィアン・ワードに声をかけられ、20ドルでビバリーウィルシャー・ホテルまで運転を頼む。「夜の相場は1時間で100ドル」と吹っ掛けるヴィヴィアンに「嘘だろ。靴を安全ピンで止めてるくせに」とやり返す。ホテルに着き、「バスで戻る」と言うヴィヴィアンが気になったエドワードは「少し寄っていかないか?」と誘う。ペントハウスでエドワードはシャンパンとイチゴでヴィヴィアンをもてなす。
翌朝、買収の打ち合わせに、「女性を連れて会食しろ」と弁護士からアドバイスを受けたエドワードは、ヴィヴィアンと6日間を3000ドルで契約する。

プリティ・ウーマン(1990)」はジュリア・ロバーツとリチャード・ギアが主人公です。

まさに「マイ・フェア・レディ(1964)」。でも「マイ・フェア・レディ」のオリジナルは、「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー著)とも言える。(「フランケンシュタイン」の原型がジョン・ミルトン著「失楽園」とか)

そうなんですか?

自分の意のままに育てていくという型、という意味で。

なるほど。ニューヨークの企業の社長がリチャード・ギアでジュリア・ロバーツは娼婦です。
エド(リチャード・ギア)が、パーティーを早く帰ろうと抜け出すところから始まって、同僚の弁護士の車を借りて帰るんです。普段は運転手に任せているし、マニュアル車で慣れていないので、フラフラしながら運転して道に迷っちゃう。ビバリーヒルズに行きたかったのに、柄の悪い所に入って行く。ストリートで生計を立てている女の子たちがいる通りです。ヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)と友達が
「今日も稼がないと」って喋っている所をエドがフラフラしながら通る。それ見て
「カモが来たよ」って、ヴィヴィアンに行かせるんですよ。ヴィヴィアンが
「道案内しよう」って車に乗る。ヴィヴィアンは昔、車いじりをよく見ていたので、車に詳しいんです。運転を代わって爆走してホテルに着いて、車内のおしゃべりが楽しかったので
「もう少しいてくれ」ってエドが言っちゃう。
「話をしよう、時間が気になるんだったらお金を渡すから」って、ヴィヴィアンと一緒に過ごす。
エドは企業を買収して解体して売るのが仕事。女の人を連れて行った方が和やかになるから、ヴィヴィアンを連れて商談に行くんですよ。ヴィヴィアンが派手で下品なファッションだったんで、
「ドレスを買って」ってお金を渡すけど、買いに行くと高級店にそぐわないので追い出されちゃう。そこをホテルの支配人(ヘクター・エリゾンド)が助けてくれて、ブティックに案内してくれる。
テーブルマナーも学ぶべきだって、支配人が教えてくれるんです。
「3本フォークはサラダ用」とか。

リチャード・ギアが教えてくれないの?

支配人がいい役なんですよ。

いいですよね。一緒にホテルにいるために支配人が
「姪御(めいご)さんです」ってカバーしてあげる。
結局ホテルの人たちから支えてもらう。一週間一緒にいる契約をするんです。

支配人は全てを呑み込んでいる。

面白そう。

こんな人が身近にいたらいいな。

ヴィヴィアンとエドは
「自分たちはお金のためなら何でもできる同士で似ているね」って会話をするんです。エドも仕事一筋、ヴィヴィアンも家を出てからお金に執着するような生活をしてきたのが分かる。
ポロの試合を見に行く日があって、富裕層の人たちが集まっている。ヴィヴィアンは
「エドが自分のことを求める理由が分かる」と言う。プライドの塊の人たちとは心から楽しむ空間ではないから。そこにエドの弁護士が来ていたんです。
「このタイミングで彼女がいるのは怪しい。でかい商談をしているんで、スパイか」と疑い始めるんです。エドが
「そんなわけない。娼婦だ」と明かしちゃうんですよ。弁護士は娼婦かって見下して言い寄るんですよ。ヴィヴィアンはそれで傷ついてしまう。
「どうしてばらしちゃったの」って喧嘩をして、それが6日目ぐらいで、お互い好き同士になってきているんです。でもヴィヴィアンはビジネスだからと割り切って、
「今日で帰るね」と言う。
「君のために部屋を借りたよ。これが自分にできる精一杯のこと」とエド。
「ちっちゃい頃から白馬の王子様に助けてもらう夢を見ていた。自分と一緒にいようって言ってくれたらいいのに」、ヴィヴィアンは去ることを決める。
ヴィヴィアンはホテルを出る時に支配人に
「助けてくれて、ありがとう」と言う。
「運転手に送らせます」と支配人が車を手配してくれる。
次の日にエドがニューヨークへ帰る時に支配人が、
「特に伝言は受けてないです。昨日の彼女を送った運転手に送らせますね」って言う。
ヴィヴィアンがいる所にリムジンで行く。車の天井が開いてエドが体を乗り出すと傘を掲げて花束を持って王子様として迎えに行く。
ハッピーエンドで終わるシンデレラストーリー。「マイ・フェアレディ」みたいに上品な作法を教えてあげて、レディにするお話です。

この映画の有名なのは、洋服を買いに行くシーン。最初は断られて、次に行った時にはお店の人の態度が変わっていて、そこで洋服を選ぶシーンであの有名な音楽が流れる。

「#オー・プリティ・ウーマン」

洋服を選ぶシーンって、その後いろんな映画とかドラマで同じパターンを何回も見るよね。

そうですね。

プリティ・ウーマンパターン。どんどん着替える。

店員さんがいっぱい持って来るんです。取っ替え引っ替え。

すごく小気味がいい名シーン。みんなが真似したくなる。
それと、リチャード・ギアが高所恐怖症というのが途中で分かる。

バルコニーに絶対行けない。でも、最上階のところにいるんです。一番いい部屋だから。

最後にリムジンで、迎えに行くでしょ。ジュリア・ロバーツが、そこのアパートの上の方に住んでいる。ここはニューヨークではないけども、ニューヨークによくあるような外に避難階段がある。

「ウエストサイド・ストーリー」みたい。

ニューヨークは大火が起きて、避難階段が義務化されたんですよ。それと同じような作りになっていて、そこを登っていくんですよ。(1860年にニューヨークでは、Fire escapesの設置が義務化)

愛する彼女に会うために。

三階建てぐらいしかないんですよ。怖がっているのが可愛らしい。

ジュリア・ロバーツをあまり知らなくて。何に出ている?

アカデミー賞を獲ったのが、スティーブン・ソダーバーグ監督の「エリン・ブロコビッチ」。主演女優賞を獲って、名スピーチをした。でも、すごく有名になったのは「プリティ・ウーマン」からかな。

ジュリア・ロバーツが最初の方で、銀髪のボブのカツラをつけていて「地毛は赤毛です」って言う。ビジュアルが違う。どっちも似合っていて、綺麗な人やなと思いました。

赤毛は典型ですよ。昔は「ニンジン」(ジュール・ルナール著)って有名な小説がある。それも赤毛だし、「赤毛のアン」(L・M・モンゴメリ著)も、やんちゃで向こう意気が強い。そんな性格の典型を赤毛が象徴するんですよ。

ジュリア・ロバーツ
ヘクター・エリゾンド

赤毛組合(活発な女性たち)

ANNIE/アニー(1982)
孤児院で育ったアニーは赤毛の11歳。犬をいじめる少年たちを追いかけるような性格。
風の谷のナウシカ(1984)
族長ジルの娘であるナウシカは人々から恐れられている腐海の蟲とも心を通わせる少女。
赤毛のアン(1985)
ミーガン・フォローズ扮するアン・シャーリーは孤児院で育った元気な女の子。セント・エドワード島で活躍する。
リトル・マーメイド(1989)
父トリトンの教えを破って、地上に憧れる女の子。
タイタニック(1997)
ケイト・ウィンスレット扮するローズはタイタニックが沈む中、三等客室のジャックを探しに行く。
17歳のカルテ(1999)
アンジェリーナ・ジョリー扮するリサは精神病院内でボス的な存在。
ボーン・コレクター(1999)
アンジェリーナ・ジョリー扮するアメリアが赤毛の女性警官。リンカーン・ライムの手足となって現場で鑑識作業を行う。原作では時々車で暴走する。
魔法にかけられて(2007)
おとぎ話の世界アンダレーシアに住むジゼル姫は浮世離れした天真爛漫な少女。
メリダとおそろしの森(2012)
ダンブロッホ王国の王女メリダは男性にもまけない弓矢の名手。
レディ・プレイヤー1(2018)
本作のヒロインサマンサ・イヴリン・クックは”シクサー殺し”の異名を持つ少女。
あの夏のルカ(2021)
少年ルカを助けるジュリア・マルコヴァルドは赤毛の少女。エルコレと協力してトライアスロンに参加する。
ジュラシック・ワールド・シリーズ(2015-2022)
ヒロインのクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は全身アザだらけで活躍する。

(対話月日:2022年7月28日)